サイト自体の知名度

ウィキリークスが産声を上げた2007年には、まだこのサイト自体の知名度がそれほど高くなったこともあり、影響力、信憑性という部分において問題にするほどではなかったようです。そういった事態に対し、各国政府はやはり迅速な対応を行ってきました。ただ、こういった報道が大々的になされたことから、イメージダウンが徐々に浸透していったのは事実です。この時点では、ウィキリークス側のダメージはまだ深刻ではなかったようです。 急速に機密情報のリーク件数が増加し、また戦地でのアメリカ兵の行為が動画として公表されるなど、センセーショナルな情報が公開されていったことで、ウィキリークスは世界的な知名度を得ることとなり、今度はアメリカだけではなく、世界各国の政府が問題視するようになりました。これまで、国家機密が漏れるということ自体、まずありえませんでしたが、このサイトが誕生したことで、内部告発の意義が生まれたと言えることになり、結果としてそれを助長することになっているからです。その後、大きな攻防はなく、社会によるウィキリークスの見方もマイナスの面が多くなってきたこともあり、一時は閉鎖に追い込まれます。 各国の国家機密を、内部告発を元に暴露するウィキリークスは、当然ではありますが、各国の政府機関にとっては天敵といえる存在です。しかし、それが徐々に変化していき、寄せられる情報も増えてきたことから、2008年にアメリカ連邦はウィキリークスに対して圧力をかけはじめます。まず、カリフォルニア州のサンフランシスコ連邦地方裁判所の命令によって、閉鎖に追い込むという攻撃が仕掛けられました。 。それで一件落着と米政府も考えたかも知れませんが、2010年になり状況は一変します。しかし、これによってウィキリークスが滅びるということはなく、アメリカだけがオフラインとなり、別国においては稼動したままとなっていました。